判例

S50.11.28 第三小法廷・判決 昭和48(オ)499 組合費請求(第29巻10号1698頁)

判示事項:

一、労働組合が他の労働組合の闘争支援資金として収する臨時組合費と組合員の納付義務

二、労働組合がいわゆる安保反対闘争の実施費用として徴収する臨時組合費と組合員の納付義務

三、労働組合がいわゆる安保反対闘争により不利益処分を受けた組合員の救援費用として徴収する臨時組合費と組合員の納付義務

四、労働組合が特定の公職選挙立候補者の選挙運動の支援資金として徴収する臨時組合費と組合員の納付義務

要旨:

一、労働組合が他の労働組合の闘争支援資金として徴収する臨時組合費については、右支援が法律上許されない等特別の場合でないかぎり、組合員はこれを納付する義務を負う。

二、労働組合がいわゆる安保反対闘争実施の費用として徴収する臨時組合費については、組合員はこれを納付する義務を負わない。

三、労働組合がその実施したいわゆる安保反対闘争により民事上又は刑事上の不利益処分を受けた組合員を救援する費用として徴収する臨時組合費については、組合員はこれを納付する義務を負う。

四、公職選挙に際し、労働組合が特定の立候補者の選挙運動支援のためその所属政党に寄付する資金として徴収する臨時組合費については、組合員はこれを納付する義務を負わない。



主    文

     上告人の本訴請求中、被上告人らに対しそれぞれ第一審判決添付第二目録の「(ホ)炭労資金」欄記載の金員(単位は円。以下同じ。)、「(ヘ)安保資金」欄記載の金員及び「(リ)春闘資金」欄記載の金員中三〇円並びにこれらに対する昭和三七年七月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。
     被上告人らは上告人に対し、それぞれ右目録の「(ホ)炭労資金」欄記載の金員、「(ヘ)安保資金」欄記載の金員及び「(リ)春闘資金」欄記載の金員中三〇円並びにこれらに対する昭和三七年七月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
     上告人のその余の上告を棄却する。
     訴訟の総費用中、上告人と被上告人A1、同A2、同A3との間に生じた分は同被上告人らの負担とし、上告人とその余の被上告人らとの間に生じた分はこれを一〇分し、その一を上告人の負担とし、その余を同被上告人らの負担とする。
         

理    由

 上告代理人大野正男、同西田公一、同外山佳昌の上告状記載の上告理由及び上告理由書記載の上告理由について
 一 原判決によれば、上告組合がその組合員から徴収することを決定した本件各臨時組合費のうち、(1) 原判示の炭労資金三五〇円(組合員一人あたりの額。以下同じ。)及び春闘資金中の三〇円は、上告組合が日本炭鉱労働組合(以下「炭労」という。)の三井三池炭鉱を中心とする企業整備反対闘争を支援するための資金、(2) 原判示の安保資金五〇円は、昭和三五年に行われたいわゆる安保反対闘争により上告組合の組合員多数が民事上又は刑事上の不利益処分を受けたので、これら被処分者を救援するための資金(ただし、右資金は、いつたん上部団体である日本労働組合総評議会に上納され、他組合からの上納金と一括されたうえ、改めて救援資金として上告組合に配分されることになつていた。)、(3) 原判示の政治意識昂揚資金二〇円は、上告組合が昭和三五年一一月の総選挙に際し同組合出身の立候補者の選挙運動を応援するために、それぞれの所属政党に寄付する資金である、というのである。本件は、上告組合がその組合員であつた被上告人らに対して右各臨時組合費の支払を請求する事案であるが、原審は、労働組合は組合員の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上という目的の遂行のために現実に必要な活動についてのみ組合員から臨時組合費を徴収することができるとの見解を前提としたうえ、右(1)については、上告組合が炭労の企業整備反対闘争を支援することは右目的の範囲外であるとし、(2)については、いわゆる安保反対闘争自体が右目的の達成に必要な行為ではないから、これに参加して違法行為をしたことにより処分を受けた組合員を救援することも目的の範囲を超えるものであるとし、更に、(3)については、選挙応援資金の拠出を強制することは組合員の政治的信条の自由に対する侵害となるから許されないとし、結局、右いずれの臨時組合費の徴収決議も法律上無効であつて、被上告人らにはこれを納付する義務がない、と判断している。
 論旨は、要するに、原審の前提とした労働組合の目的の範囲に関する一般的判断につき民法四三条、労働組合法二条、上告組合規約三条、四条の解釈適用の誤り及び理由齟齬の違法を主張するとともに、右(1)に関する判断には、同組合規約三条、四条の解釈適用を誤り、社会通念及び経験則に違反した違法、同(2)に関する判断には、憲法二八条、労働組合法二条、同組合規約三条、四条の解釈適用を誤り、条理及び判例に違反した違法、同(3)に関する判断には、憲法一九条、二一条、二八条、労働組合法二条、民法九〇条の解釈適用を誤り、条理及び判例に違反した違法がある、というのである。
 二 思うに、労働組合の組合員は、組合の構成員として留まる限り、組合が正規の手続に従つて決定した活動に参加し、また、組合の活動を妨害するような行為を避止する義務を負うとともに、右活動の経済的基礎をなす組合費を納付する義務を負うものであるが、これらの義務(以下「協力義務」という。)は、もとより無制限のものではない。労働組合は、労働者の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的とする団体であつて、組合員はかかる目的のための活動に参加する者としてこれに加入するのであるから、その協力義務も当然に右目的達成のために必要な団体活動の範囲に限られる。しかし、いうまでもなく、労働組合の活動は、必ずしも対使用者との関係において有利な労働条件を獲得することのみに限定されるものではない。労働組合は、歴史的には、使用者と労働者との間の雇用関係における労働者側の取引力の強化のために結成され、かかるものとして法認されてきた団体ではあるけれども、その活動は、決して固定的ではなく、社会の変化とそのなかにおける労働組合の意義や機能の変化に伴つて流動発展するものであり、今日においては、その活動の範囲が本来の経済的活動の域を超えて政治的活動、社会的活動、文化的活動など広く組合員の生活利益の擁護と向上に直接間接に関係する事項にも及び、しかも更に拡大の傾向を示しているのである。このような労働組合の活動の拡大は、そこにそれだけの社会的必然性を有するものであるから、これに対して法律が特段の制限や規制の措置をとらない限り、これらの活動そのものをもつて直ちに労働組合の目的の範囲外であるとし、あるいは労働組合が本来行うことのできない行為であるとすることはできない。
 しかし、このように労働組合の活動の範囲が広く、かつ弾力的であるとしても、そのことから、労働組合がその目的の範囲内においてするすべての活動につき当然かつ一様に組合員に対して統制力を及ぼし、組合員の協力を強制することができるものと速断することはできない。労働組合の活動が組合員の一般的要請にこたえて拡大されるものであり、組合員としてもある程度まではこれを予想して組合に加入するのであるから、組合からの脱退の自由が確保されている限り、たとえ個々の場合に組合の決定した活動に反対の組合員であつても、原則的にはこれに対する協力義務を免れないというべきであるが、労働組合の活動が前記のように多様化するにつれて、組合による統制の範囲も拡大し、組合員が一個の市民又は人間として有する自由や権利と矛盾衝突する場合が増大し、しかも今日の社会的条件のもとでは、組合に加入していることが労働者にとつて重要な利益で、組合脱退の自由も事実上大きな制約を受けていることを考えると、労働組合の活動として許されたものであるというだけで、そのことから直ちにこれに対する組合員の協力義務を無条件で肯定することは、相当でないというべきである。それゆえ、この点に関して格別の立法上の規制が加えられていない場合でも、問題とされている具体的な組合活動の内容・性質、これについて組合員に求められる協力の内容・程度・態様等を比較考量し、多数決原理に基づく組合活動の実効性と組合員個人の基本的利益の調和という観点から、組合の統制力とその反面としての組合員の協力義務の範囲に合理的な限定を加えることが必要である。
 そこで、以上のような見地から本件の前記各臨時組合費の徴収の許否について判断する。
 三 炭労資金(春闘資金中三〇円を含む。)について
 右資金は、上告組合自身の闘争のための資金ではなく、他組合の闘争に対する支援資金である。労働組合が他の友誼組合の闘争を支援する諸活動を行うことは、しばしばみられるところであるが、労働組合ないし労働者間における連帯と相互協力の関係からすれば、労働組合の目的とする組合員の経済的地位の向上は、当該組合かぎりの活動のみによつてではなく、広く他組合との連帯行動によつてこれを実現することが予定されているのであるから、それらの支援活動は当然に右の目的と関連性をもつものと考えるべきであり、また、労働組合においてそれをすることがなんら組合員の一般的利益に反するものでもないのである。それゆえ、右支援活動をするかどうかは、それが法律上許されない等特別の場合でない限り、専ら当該組合が自主的に判断すべき政策問題であつて、多数決によりそれが決定された場合には、これに対する組合員の協力義務を否定すべき理由はない。右支援活動の一環としての資金援助のための費用の負担についても同様である。
 のみならず、原判決は、本件支援の対象となつた炭労の闘争が、石炭産業の合理化に伴う炭鉱閉鎖と人員整理を阻止するため、使用者に対して企業整備反対の闘争をすると同時に、政府に対して石炭政策転換要求の闘争をすることを内容としたものであつて、右石炭政策転換闘争において炭労が成功することは、当時上告組合自身が行つていた国鉄志免炭鉱の閉山反対闘争を成功させるために有益であつたとしながら、本件支援資金が、炭労の右石炭政策転換闘争の支援を直接目的としたものでなく、主としてその企業整備反対闘争を支援するための資金であつたことを理由に、これを拠出することが上告組合の目的達成に必要なものではなかつたと判断しているのであるが、炭労の前記闘争目的から合理的に考えるならば、その石炭政策転換闘争と企業整備反対闘争とは決して無関係なものではなく、企業整備反対闘争の帰すうは石炭政策転換闘争の成否にも影響するものであつたことがうかがわれるのであり、そうである以上、直接には企業整備反対闘争を支援するための資金であつても、これを拠出することが石炭政策転換闘争の支援につながり、ひいて上告組合自身の前記闘争の効果的な遂行に資するものとして、その目的達成のために必要のないものであつたとはいいがたいのである。
 してみると、前記特別の場合にあたるとは認められない本件において、被上告人らが右支援資金を納付すべき義務を負うことは明らかであり、これを否定した原審及び第一審の判断は誤りというほかなく、その違法をいう論旨は理由がある。
 四 安保資金について
 右資金は、いわゆる安保反対闘争に参加して処分を受けた組合員を救援するための資金であるが、後記五の政治意識昂揚資金とともに、労働組合の政治的活動に関係するので、以下においては、まず労働組合の政治的活動に対する組合員の協力義務について一般的に考察し、次いで右政治的活動による被処分者に対する救援の問題に及ぶこととする。
 1 既に述べたとおり、労働組合が労働者の生活利益の擁護と向上のために、経済的活動のほかに政治的活動をも行うことは、今日のように経済的活動と政治的活動との間に密接ないし表裏の関係のある時代においてはある程度まで必然的であり、これを組合の目的と関係のない行為としてその活動領域から排除することは、実際的でなく、また当を得たものでもない。それゆえ、労働組合がかかる政治的活動をし、あるいは、そのための費用を組合基金のうちから支出すること自体は、法的には許されたものというべきであるが、これに対する組合員の協力義務をどこまで認めうるかについては、更に別個に考慮することを要する。
 すなわち、一般的にいえば、政治的活動は一定の政治的思想、見解、判断等に結びついて行われるものであり、労働組合の政治的活動の基礎にある政治的思想、見解、判断等は、必ずしも個々の組合員のそれと一致するものではないから、もともと団体構成員の多数決に従つて政治的行動をすることを予定して結成された政治団体とは異なる労働組合としては、その多数決による政治的活動に対してこれと異なる政治的思想、見解、判断等をもつ個々の組合員の協力を義務づけることは、原則として許されないと考えるべきである。かかる義務を一般的に認めることは、組合員の個人としての政治的自由、特に自己の意に反して一定の政治的態度や行動をとることを強制されない自由を侵害することになるからである。
 しかしながら、労働組合の政治的活動とそれ以外の活動とは実際上しかく截然と区別できるものではなく、一定の行動が政治的活動であると同時に経済的活動としての性質をもつことは稀ではないし、また、それが政治的思想、見解、判断等と関係する度合いも必ずしも一様ではない。したがつて、労働組合の活動がいささかでも政治的性質を帯びるものであれば、常にこれに対する組合員の協力を強制することができないと解することは、妥当な解釈とはいいがたい。例えば、労働者の権利利益に直接関係する立法や行政措置の促進又は反対のためにする活動のごときは、政治的活動としての一面をもち、そのかぎりにおいて組合員の政治的思想、見解、判断等と全く無関係ではありえないけれども、それとの関連性は稀薄であり、むしろ組合員個人の政治的立場の相違を超えて労働組合本来の目的を達成するための広い意味における経済的活動ないしはこれに付随する活動であるともみられるものであつて、このような活動について組合員の協力を要求しても、その政治的自由に対する制約の程度は極めて軽微なものということができる。それゆえ、このような活動については、労働組合の自主的な政策決定を優先させ、組合員の費用負担を含む協力義務を肯定すべきである。
 これに対し、いわゆる安保反対闘争のような活動は、究極的にはなんらかの意味において労働者の生活利益の維持向上と無縁ではないとしても、直接的には国の安全や外交等の国民的関心事に関する政策上の問題を対象とする活動であり、このような政治的要求に賛成するか反対するかは、本来、各人が国民の一人としての立場において自己の個人的かつ自主的な思想、見解、判断等に基づいて決定すべきことであるから、それについて組合の多数決をもつて組合員を拘束し、その協力を強制することを認めるべきではない。もつとも、この種の活動に対する費用負担の限度における協力義務については、これによつて強制されるのは一定額の金銭の出捐だけであつて、問題の政治的活動に関してはこれに反対する自由を拘束されるわけではないが、たとえそうであるとしても、一定の政治的活動の費用としてその支出目的との個別的関連性が明白に特定されている資金についてその拠出を強制することは、かかる活動に対する積極的協力の強制にほかならず、また、右活動にあらわされる一定の政治的立場に対する支持の表明を強制するにも等しいものというべきであつて、やはり許されないとしなければならない。
 2 次に、右安保反対闘争のような政治的活動に参加して不利益処分を受けた組合員に対する救援の問題について考えると、労働組合の行うこのような救援そのものは、組合の主要な目的の一つである組合員に対する共済活動として当然に許されるところであるが、それは同時に、当該政治的活動のいわば延長としての性格を有することも否定できない。しかし、労働組合が共済活動として行う救援の主眼は、組織の維持強化を図るために、被処分者の受けている生活その他の面での不利益の回復を経済的に援助してやることにあり、処分の原因たる行為のいかんにかかわるものではなく、もとよりその行為を支持、助長することを直接目的とするものではないから、右救援費用を拠出することが直ちに処分の原因たる政治的活動に積極的に協力することになるものではなく、また、その活動のよつて立つ一定の政治的立場に対する支持を表明することになるものでもないというべきである。したがつて、その拠出を強制しても、組合員個人の政治的思想、見解、判断等に関係する程度は極めて軽微なものであつて、このような救援資金については、先に述べた政治的活動を直接の目的とする資金とは異なり、組合の徴収決議に対する組合員の協力義務を肯定することが、相当である。なお、処分の原因たる被処分者の行為は違法なものでもありうるが、右に述べた救援の目的からすれば、そのことが当然には協力義務を否定する理由となるものではない(当裁判所昭和四八年(オ)第四九八号組合費請求事件同五〇年一一月二八日第三小法廷判決参照)。
 3 ところで、本件において原審の確定するところによれば、前記安保資金は、いわゆる安保反対闘争による処分が行われたので専ら被処分者を救援するために徴収が決定されたものであるというのであるから、右の説示に照らせば、被上告人らはこれを納付する義務を負うことが明らかであるといわなければならない。それゆえ、これを否定した原審及び第一審の判断は誤りであり、その違法をいう論旨は理由がある。
 五 政治意識昂揚資金について
 右資金は、総選挙に際し特定の立候補者支援のためにその所属政党に寄付する資金であるが、政党や選挙による議員の活動は、各種の政治的課題の解決のために労働者の生活利益とは関係のない広範な領域にも及ぶものであるから、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかは、投票の自由と表裏をなすものとして、組合員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断ないしは感情等に基づいて自主的に決定すべき事柄である。したがつて、労働組合が組織として支持政党又はいわゆる統一候補を決定し、その選挙運動を推進すること自体は自由であるが(当裁判所昭和三八年(あ)第九七四号同四三年一二月四日大法廷判決・刑集二二巻一三号一四二五頁参照)、組合員に対してこれへの協力を強制することは許されないというべきであり、その費用の負担についても同様に解すべきことは、既に述べたところから明らかである。これと同旨の理由により本件政治意識昂揚資金について被上告人らの納付義務を否定した原審の判断は正当であつて、所論労働組合法又は民法の規定の解釈適用を誤つた違法はない。また、所論違憲の主張は、その実質において原判決に右違法のあることをいうものであるか、独自の見解を前提として原判決の違憲を主張するものにすぎないから、失当であり、更に、所諭引用の判例も、事案を異にし、本件に適切でない。この点に関する論旨は、採用することができない。
 六 以上のとおりであるから、原判決及び第一審判決中、本件炭労資金(春闘資金中三〇円を含む。)及び安保資金について上告人の請求を認めなかつた部分は違法として破棄又は取消を免れず、右部分に関する上告人の請求はすべてこれを認容すべきであり、また、その余の上告は、理由がないものとして棄却すべきである。
 よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、八九条、九二条、九三条に従い、右炭労資金(春闘資金中三〇円を含む。)の請求に関する点につき裁判官天野武一、安保資金の請求に関する点につき裁判官天野武一、同辻正己の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 裁判官天野武一の反対意見は、次のとおりである。
 私は、多数意見が、上告理由中いわゆる「炭労資金」及び「安保資金」に関する部分につき、論旨を容れて原審及び第一審の判断を誤りとしたうえ破棄をいうことに反対し、かえつて本件上告を棄却すべきものと考える。以下、その理由を述べる。
 一 原判決の確定するところによれば、本件において、上告組合は、総評の見解と同じく、炭労の企業整備反対闘争の成否が安保反対闘争及び労働運動に及ぼす影響が大きいとの見解に立ち、総評の決定にしたがつて、本件炭労資金の徴収の決議と指令をしたのであるが、この炭労資金は、「主として炭労が使用者との間で行なつている企業整備反対の争議を支援するため炭労組合員の争議中の生活補償資金や支援団体の活動費に充てる目的で徴収されたものであつて、政策転換闘争それ自体に直接必要な費用に充てる目的ではなく」、かつ、その徴収は、「組合員の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上」のために直接間接必要のものとはいえない、というのである。そしてまた、上告組合が炭労の政府に対する政策転換闘争を支援することは、国鉄志免鉱業所売山反対の争議解決に必要な行為と解することはできるが、「志免鉱業所売山の方針は、石炭産業とは異なる産業分野に属し、しかも私企業とは異なる経営理念を有する公共企業体内部における不採算部門の切捨てであると同時に、蒸気機関車の廃止など国鉄企業内の不要陳腐化部門の切捨てを意図するものであるから、同じくエネルギー革命を契機とするとはいえ、石炭産業の延命策ともいうべき企業合理化とは異なつた経済的動因を有し、両者はおのずから別個の解決を見ることも充分ありうるわけであり、」一方が労働者に有利に解決したからといつて、他方についても労働者に有利な解決を直接間接にもたらすだけの関連性があるとは解し難い、というのである。そうであれば、原判決が、いわゆる炭労資金の拠出を組合の目的の範囲外のものと判断したこと、換言すれば、その拠出に私法上の義務を認めるべきではないと判断したことは、まことに正当であつて、何らの違法はない。しかも、原判決は、企業間の労働条件の連動性、人員整理の波及効果などの主張は、一般論としては首肯しうるにとどまり、「本件に関し具体的な蓋然性の存在を証するに足る証拠はない」旨を判示しているのである。しかるに、多数意見は、これに対して具体的な根拠を示すことなく、単に「炭労の闘争目的から合理的に考えるならば」として、その石炭政策転換闘争と企業整備反対闘争とは決して無関係なものではなく、企業整備反対闘争の帰すうは石炭政策転換闘争の成否にも影響するものであることがうかがわれる旨、独自の推断を施したうえ、組合員には支援資金の納付義務がある、と断定するのであるが、不当というほかはない。この場合に、多数意見は、右の結論に至る前提として、「多数決原理に基づく組合活動の実効性と組合員個人の基本的利益の調和という観点から、組合の統制力とその反面としての組合員の協力義務の範囲に合理的な限定を加えることが必要である。」と説く。しかし、この一般論が、本件において原審及び第一審の判断を誤りとする右の結論といかなる関連をもつのか、その判文上はなはだ明確を欠き、とうていその見解を維持するに足りないのである。
 二 いわゆる安保資金につき多数意見のいうところをみると、「いわゆる安保反対闘争のような政治的活動に参加して不利益を受けた組合員に対する救援の問題」は、「同時に当該政治活動のいわば延長としての性格を有することも否定できない。」としつつ、その「救援の主眼は、組織の維持強化を図るために、被処分者の受けている生活その他の面での不利益の回復を経済的に援助してやることにあり、処分の原因たる行為のいかんにかかわるものではなく、もとよりその行為を支持、助長することを直接目的とするものではないから、右救援費用を拠出することが直ちに処分の原因たる政治的活動に積極的に協力することになるものではなく、また、その活動のよつて立つ一定の政治的立場に対する支持を表明することになるものでもないというべき」であるとして、その拠出を強制することができることを結論づけているのである。しかし、果してそうであろうか。原判決の確定するところによれば、いわゆる新安保条約批准阻止が、駐留米軍輸送の減少、ひいては国鉄労働者の労働条件、経済的地位の維持改善や、上告組合の副次的目的である日本国有鉄道の乗務の改善と関連性を有することを論証するだけの訴訟資料は提出されていない、というのであつて、その見地から、原判決が次のように説示しているところを正しく理解しなければならないことになろう。すなわち、「公労法一七条、日本国有鉄道法三一条などに違反し、しかもデモなど通常表現の自由として許される範囲を超えた違法な団体行動に故意に参加したため受けた懲戒又は刑事処分によつて、組合員が失つた賃金又は昇給分、罰金を補填し、あるいはその法的救済手続や刑事訴訟に関する費用を援助すること」も上告組合の「目的の範囲内に属する行為ということはできない。けだし、組合目的と著しく離れていて、しかも違法な団体行動を故意に行なつた組合員の救援までも組合の目的の範囲内とすることは、組合の目的の概念の不明確をもたらし、一般組合員の利益を不当に侵害するものといわなければならないからである。」と、原判決はいうのである。思うに、組合がいわゆる安保反対闘争による被処分者を救済しなければならないとするのは、右の政治闘争自体を組合が支援し、実行に参加しているためなのであつて、このことと全く無関係の立場から救援の手をさしのべているのでないことは、世上きわめて明白で、とうてい否定すべくもない事実といえる。したがつて、右の救援活動のための資金の拠出決定の実質は、安保反対闘争を直接の目的とする資金の拠出決定と異なるものではなく、ともに組合員に対し、法的な拘束力を認めるに由ないものといわざるを得ないのである。とくに、多数意見においても、「一定の政治的活動の費用としてその支出目的との個別的関連性が明白に特定されている資金についてもその拠出を強制することは、かかる活動に対する積極的協力の強制にほかならず、また、右活動にあらわされる一定の政治的立場に対する支持の表明を強制するにも等しいものというべきであつて、やはり許されないとしなければならない。」とされるのであるから、その立場からいえば、いわゆる安保反対闘争を実行するための資金と救援資金とを一括して拠出する旨の組合決定が事前に行われた場合においては、その決定全体を無効とするほかない、ということになるはずであり、この理は、安保反対闘争による処分が行われた後において専ら被処分者を救援する目的でその費用の徴収が決定された場合にも等しくあてはまることでなければならない。
 三 率直にいつて、私は、ことさらに救援資金の政治的性格を無視しようとしているらしい感触を、多数意見からうける。この点は、辻裁判官がその反対意見で言及されているところにも関連するが、多数意見において本件救援資金の政治的性格を安全に無視し去ることができないことは、さきにも引用したように、救援費用を拠出することが「直ちに処分の原因たる政治的活動に積極的に協力することになるものではなく」とか、「活動のよつて立つ一定の政治的立場に対する支持を表明することになるものでもない」とか、さらにまた、「その拠出を強制しても、組合員個人の政治的思想、見解、判断等に関係する程度は極めて軽微なもの」とか、くりかえし強調するところに表明されているといえる。そこで、このようにして、本件救援資金の拠出も安保反対闘争に協力するという性格を否定できないとすれば、組合員としては、かかる政治的要求に対する賛否を問われているのであるから、多数意見の自らいうように「国民の一人としての立場において自己の個人的かつ自主的な思想、見解、判断等に基づいて決定すべきこと」であつて、それらについて組合の多数決をもつて組合員を拘束し、その協力を強制することを認めるべきではないことになるのである。なお、多数意見は、安保資金についても、さきの炭労資金の場合におけると共通の前提として、具体的な組合活動とこれについて組合員に求められる協力の各内容その他を比較考量し、「多数決原理に基づく組合活動の実効性と組合員個人の基本的利益の調和」をいう。しかし、具体的にそのことから、右の組合員の自由と権利とを法律上否定することが許されてよいことになる結び付きが、私には納得し兼ねるのである(多数意見のいうこのような利益の比較考量論に対しては、昭和四八年(オ)第四九八号組合費請求事件判決において私の意見を述べているので、その部分をここに援用しておく。)。
 かくして、私は、以上の点に関する多数意見には賛成できない。原判決の判断は、結論において正当であり、本件上告は棄却されるべきである。
 裁判官辻正己の反対意見は、次のとおりである。
 私は、安保資金の請求に関する点について、多数意見と見解を異にするものであつて、論旨は理由がなく、上告は棄却されるべきものと考える。以下、その理由を述べる。
 いわゆる安保反対闘争のような国の安全や外交等の国民的関心事に関する政策上の問題を直接の対象とする組合の政治的活動(以下単に「組合の政治的活動」という。)に参加して、不利益処分を受けるに至つた組合員(以下「被処分者」という。)に対し、組合がする救援は、多数意見がいうように、組合の主要な目的の一つである組合員に対する共済活動であることを失わず、そのための救援資金を組合員において拠出することは、その限りにおいていえば、処分の原困たる組合の政治的活動に積極的に協力することになるものではない。多数意見は、このことの故に、これを拠出することが直ちに処分の原因たる組合の政治的活動に積極的に協力することになるものではなく、その拠出を強制しても組合員個人の政治的思想、見解、判断等に関係する程度は極めて軽微なものにすぎないから、その拠出については組合の決定に対する組合員の協力義務を肯定するのが相当であるとするのである。しかし、民主主義社会において、個人の政治的自由、特に自己の意に反して一定の政治的立場に立つことを強要されない自由が、とりわけ貴重とされるゆえんに照らしてみると、組合員個人の政治的思想、見解、判断等に関連する関係において救援資金の拠出の強制に法的評価を加えるについては、それが組合員に対し組合の政治的活動に積極的に協力することを強制することになる場合であると、積極的な協力を強制することにまではならないにしても、やはり組合の政治的活動を支援することを強制するにも等しいことになる場合であるとによつて、評価を異にすべきいわれはないといわなければならない。
 ところで、被処分者に対してする組合の救援が、組合の政治的活動の実施に基因して生じた不都合な事態に対処するためにするものであつて、多数意見も自認するように組合の政治的活動のいわば延長としての性格を有することを免れないものであり、したがつて、その救援のための資金を拠出することが組合の政治的活動を支援する一面をもち、これをする際における組合員個人の政治的自由と係わりをもつものであることは、否定し去ることができないのである。このことは、被処分者の救援費用の徴収が、あらかじめ当該政治的活動の実施と同時に決定された場合において顕著であるように見えるが、その実施による処分が行われた後に決定された場合であつても、変わりがないといわなければならない。
 そうすると、組合の政治的活動による被処分者の救援について組合員の協力義務を肯定することは、ひつきよう、組合がその多数決による優位の立場において、組合員に対し、その意に反して一定の政治的立場に立つことを強要するにも等しいことを容認することになるものといくべく、民主主義社会においてはとりわけ貴重とされる前記の自由の価値を不当に軽視するものというほかはないのであつて、とうてい賛成することができないのである。
     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    江 里 口   清   雄
            裁判官    関   根   小   郷
            裁判官    天   野   武   一
            裁判官    坂   本   吉   勝
            裁判官       辻   正   己