判例

S53.06.29 第一小法廷・判決 昭和51(あ)1163 昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例違反(第32巻4号967頁)

判示事項:

無許可の集団示威運動の指導者につき相当の理由に基づく違法性の錯誤があつたとして、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例五条の罪の成立を否定した原判決に事実誤認があるとされた事例

要旨:

羽田空港ターミナルビルデイング内国際線出発ロビーにおける参加者約三〇〇名による無許可の集団示威運動を指導した被告人について違法性の錯誤を認めた原判決は、被告人が終始みずからの意思と行動で右集団を指導、煽動していたなど判示の事情のもとにおいては、事実を誤認したものであり、破棄を免れない。

主    文

     原判決中被告人Aに関する部分を破棄する。
     本件を東京高等裁判所に差し戻す。
         

理    由

 検察官の上告趣意について
 一 被告人Aに対する本件公訴事実の要旨は、被告人は、昭和四二年一一月一二日午後二時四〇分ころから同三時五分ころまでの間、東京都大田区a丁目b番c号東京国際空港ターミナル・ビルデイングの国際線出発ロビーにおいて、B協会の関係者ら約三〇〇名が集合し、東京都公安委員会の許可を受けないで、「C首相の訪D阻止」、「Eの来日阻止」等のシユプレヒコールなどをして気勢をあげたうえ、約五列になつてスクラムを組み、「わつしよい、わつしよい」とかけ声をかげながらかけ足行進して集団示威運動をした際、F(以下、単にFという。)ほか数名と共謀のうえ、集団中央部の台上より右シユプレヒコールの音頭をとり、煽動演説を行い、かつ、同集団に相対して右手をあげ、「ただいまから行動を開始する」旨指示し、スクラムを組ませて行進を開始させ、もつて右無許可の集団示威運動を指導した、というのである。
 これに対し、原判決は、関係証拠によりほぼ公訴事実にそう外形的事実を認定したうえ、被告人は単独で無許可の本件集団示威運動を指導したことになるから、一応昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下、本条例という。)五条に違反する場合にあたるとしながら、進んで被告人の違法性の意識について検討を加え、被告人は行為当時本件集団示威運動は法律上許されないものであるとは考えなかつたと認められるとしたうえ、無許可の集団示威運動の指導者が、右集団示威運動に対し公安委員会の許可が与えられていないことを知つている場合でも、その集団示威運動が法律上許されないものであるとは考えなかつた場合に、かく考えるについて相当の理由があるときは、右指導者の意識に非難すべき点はないのであるから、右相当の理由に基づく違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却するとの法律判断を示し、これを本件についてみると、被告人が本件集団示威運動は従来の慣例からいつても法律上許されないものであるとまでは考えなかつたのも無理からぬところであり、かように誤信するについては相当の理由があつて一概に非難することができない場合であるから、右違法性の錯誤は犯罪の成立を阻却するとした。
 二 ところで、所論の第一点は、原判決は、故意と法律の錯誤に関する刑法三八条の解釈適用につき所論引用の当裁判所の各判例と相反する判断をしたというものであるが、右にみたように、原判決の前示法律判断は被告人に違法性の意識が欠けていたことを前提とするものであるところ、職権により調査すると、原判決には右の前提事実につき事実の誤認があると認められるから、所論について判断するまでもなく、原判決中被告人Aに関する部分は、刑訴法四一一条三号により破棄を免れない。
 すなわち、原判決によれば、被告人は、B協会(正統)中央本部の常任理事、教宣委員長をしていた者であること、Gと、これと姉妹関係にあるH協会の両団体は、内閣総理大臣CがI政府首脳と会談するため昭和四二年一一月一二日羽田空港から出発して訪Dの途につくことを知るや、右訪DはJとKとの友好関係をそこなうものであるとして、同年九月上旬ころ、これに反対の態度を表明したうえ、機関紙やパンフレツトにより、両団体の関係者などに対し、同年一一月一二日には羽田空港に集つて訪Dに反対の意思表示をするからこれに参加するように呼びかけていたが、その前日都内清水谷公園で開かれた同じような団体によるC首相訪D反対の集会やそれに引き続くデモ行進については、被告人が東京都公安委員会の許可を受けて実行していたのに、この件については許可申請の手続がなされなかつたこと、右の呼びかけに応じて前記両団体の関係者などが昭和四二年一一月一二日東京都大田区a丁目b番c号東京国際空港ターミナル・ビルデイング二階国際線出発ロビーに参集したが、被告人は、同日午後二時四〇分ころ、同ロビー内北西寄りにある人造大理石製灰皿の上に立ち、「首相訪D阻止に集つたL友好の皆さんはお集り下さい」と呼びかけ、これに応じて集つた約三〇〇名の右両団体の関係者らに対し、「首相訪Dを阻止しよう」という趣旨の演説をした後みずから司会者となり、G会長Mに演説を依頼し、これに応じた同人が同じような趣旨の演説をした後、同人と交替して前記灰皿の上に立ち、手拳を突きあげて「首相訪D反対」、「E来日阻止」、「N思想万歳」、「Kプロレタリア文化大革命万歳」などのシユプレヒコールの音頭をとり、これに従つて前記集団は一斉に唱和したこと、続いて、関西方面から参集した人々を代表してFが、青年を代表してOが、演説をした後、前記灰皿の上に立つた被告人は、折からロビー内で制服警察官等が本件集団の動向を見ているのを認め、「警官の面前で首相訪D反対の意思を堂々と表示することができたのは偉大な力である」と述べて集団の士気を鼓舞したうえ、「これから抗議行動に移ることとするが、青年が先頭になり、他の人々はその後についてくれ」と指示し、最後に、右手をあげて「行動を開始します」と宣言したこと、これに応じ、前記集団の一部が、同日午後三時四分ころ、同ロビー内北側案内所附近で横約五列、縦十数列に並び、先頭部の約五名がスクラムを組んだうえ、西向きにかけ出し、その後右隊列は順次南方及び東方に方向を転換しながら同ロビー内を半周したうえ、ロビー南東部から延びている職員通路に走り込んだが、こうしてロビー内を半周している際、右隊列中の一部の者が「わつしよい、わつしよい」とか「訪D阻止」とかのかけ声をかけていたこと、空港ビルを管理しているP株式会社は、同日午後二時四〇分ころから数回にわたり、場内マイク放送で「ロビー内での集会は直ちにおやめ下さい」などと繰り返し制止していたけれども、これを無視して前記演説やシユプレヒコールなどが行われ、かつ、各演説の途中及び終了の際に、本件集団は一斉に拍手したり、「そうだ」とかけ声をかけたりしていたことなどの事実が認められるというのである。
 これらの事実とくに右事実に現われている被告人の言動及び記録によつて認められる被告人の経歴、知識、経験に照らすと、被告人は東京都内において集団示威運動を行おうとするときは場所のいかんを問わず本条例に基づき東京都公安委員会の許可を受けなければならないことを知つていたことが明らかであるうえ、終始みずからの意思と行動で本件集団を指導、煽動していたことにより、本件集団の行動が示威運動の性質を帯びていることを認識していたことも明らかであるから、被告人は行為当時本件集団示威運動が法律上許されないものであることを認識していたと認めるのが相当である。原判決が三の1で指摘している事情は、いまだ右の認定を左右するに足りるものではなく、また、本件集団示威運動が比較的平穏なものであつたとの点も、原判決の認定している前記各事実に照らし必ずしも首肯することができないから、右の結論に影響を及ぼすものではない。
 以上によれば、被告人は行為当時本件集団示威運動が法律上許されないものであることを認識していたと認められるから、被告人はそれが法律上許されないものであるとは考えなかつたと認定した原判決は、事実を誤認したものであり、この誤りは判決に影響を及ぼし、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。
 三 よつて、上告趣意に対する判断を省略し、刑訴法四一一条三号により原判決中被告人Aに関する部分を破棄し、同法四一三条本文に従い、本件を原審である東京高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 検察官竹村照雄出席
  昭和五三年六月二九日
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    本   山       亨
            裁判官    岸       盛   一
            裁判官    岸   上   康   夫
            裁判官    団   藤   重   光
            裁判官    藤   崎   萬   里